暮石訴訟が残したもの 訴訟終結にあたって

2009年4月18日 支援ネット代表世話人 高久隆範

最高裁に上告受理申立書を提出していた暮石訴訟を「門前払い」する書類が送られてきた。残念な結果である。個別指導に同僚の医師歯科医師の帯同を求める声が最高裁法廷内に届くことなく終結ということになった。

2006年(平成18年)2月に岡山地裁に提訴して3年以上かけた訴訟が最終的に敗訴となったことは、原告とともに初めての国賠訴訟を闘ってきたものにとって無念の思いである。司法の場で正面から同僚医師、歯科医師の帯同を権利として打ち立てる道は、後の時代に託された課題となった。一審から最高裁への申し立てまでの記録を整理して冊子にする予定であるが、訴訟終結を受けてこの訴訟の、「のこしたもの」を記しておこう。

1.法廷内の論戦で打ち破られたもの

 人権蹂躙の宝庫というべき個別指導・闇の現場を変え、正しい個別指導を求める運動の延長に医師歯科医師同席を求める暮石訴訟があった。指導という密室に行政手続法の光をあてて正しい個別指導を実現することが、ひいては患者さんの利益にもつながるという骨太な方向である。医師歯科医師同席の権利を直接求め、それが否定されたという短絡的な「勝負」ではなかった。

 敗訴とはいえ、判決文、及び国側準備書面により、長年行政側から執拗に繰り返されてきた多くの国側俗論、保険医側の迷信が法廷の場で打ち破られた。巷間、今でも個別指導が行政手続法の適用を受けないような愚論を仄聞するが、そのようなことではないことが法廷では検証された。紆余曲折がありながら法廷の場で国側がさまざまな準備書面で、「個別指導が行政手続法の適用を受ける」ことを争点にすることをやめた。そして、行政手続法第32条2項を根拠に「個別指導を受けることは義務であるが、指導内容に従うか否かは任意であり、そのことによって不利益な取り扱いをしてはならない。」という判決文も出て、行政手続法適用問題の決着をみた。

 それだけではない。医師歯科医師同席を拒否するために現場の実情を国なりに述べた。なんと、「・・・指導を受けるものが立ち会い医師にメリットを感ずる第一のケースは、指導官の見解に異論がある場合であろうが、指導を受けるものは自ら医学の専門家として同意できない旨を述べ、指導に従わないこととすればよい。・・・」と、こちらが赤面するような画期的な見解を表明するに至った。また、個別指導の「会場外別室」に待機している保険医と指導中に中座して相談することを裁判所は、個別指導を受ける「方式」として認めた。指導の密室にこそ入れないが、同僚医師歯科医師が別室で待機して指導の最中に適切なアドバイスを行ってきたことが法廷でも認められた。

 10年以上も前から指導現場を行政手続法の精神に則り点検して改善しようという運動提起をしてきたが、全国的な運動とはならなかった。その結果、現場の実態はいまだに改善の兆しはない。(自殺者が出ており事態は悪化している。)しかし、法廷内では行政手続法適用に関する論戦にとどめを刺しただけでなく、上記のように原告側準備書面での主張を大筋として認める成果が判決文だけでなく国側準備書面に反映された。

 

2.行政手続法と裁判官

 正面から同僚医師歯科医師を同席することを「権利」として司法が認めたわけではないが、守秘義務を理由に退けたわけではない。あくまで個別の事例における国側の裁量の範囲に封じ込めたものである。行政手続法が施行されて15年以上になるがいまだにその立法主旨すら眼中にない裁判官がいることも法廷の実態である。膨大な準備書面、本人尋問、証人尋問の応酬にもかかわらず医師歯科医師が同席することを拒否する合理的な理由を、国はいまだに明らかにできていない。

 原告側は、指導日程調整依頼と同じように、「医師歯科医師の同席を、指導を受ける条件として認めてくれ」という極めてささやかな、控えめな「調整依頼」をしただけである。同席を拒否する合理的な理由があれば納得し訴訟になることはなかった。国側が合理的な理由をあきらかにしないで指導を拒否する行為にでたため、やむなく提訴したのである。

 個別指導時に医師、歯科医師の同席を求める主張は、原告独自の特殊な意見ではない。行政手続法の第一人者である宇賀克也東大教授は、「・・指導を受ける側の要望に基づく帯同を禁止する趣旨まで健康保険法第73条2項というのは含んでいるのだろうか。およそその場に立ち会う第三者というのは、厚生労働大臣が必要であると認めて指名した立会人に限られて、そもそもそれ以外のものはそこに帯同するということを禁止するという趣旨まで健康保険法の第73条2項が含んでいるのだろうか、と考えますと、そこまでの趣旨は健康保険法第73条2項には含まれてはいないのではないか、と思います・・」、さらに「・・・日時、場所、時間、指導への帯同に関しても一次的には指導を行なうものの裁量で定めるとしても、それについて正当な理由に基づく調整の依頼ということは出来てしかるべきであるし、もしその依頼が正当なものであれば応じるべきでしょう。・・・」と講演で述べている。期せずして、医師歯科医師同席を求める主張は、法理論に則ったものであった。行政手続法の立法主旨、法理論を無視する形で健康保険法の条文解釈を行って判決を下した裁判所の責任は重い。「行政手続法の適用を受ける個別指導」と認めていながら立法主旨をゆがめてまで国側の主張に立った。40年以上もこの分野での裁判がなかったことも影響して、国賠訴訟の壁がそびえ立ち、法律家としての裁判官の良識よりも司法官僚の論理を優先させた不当な判決を下した。

 

3.個別指導の現場はどうなるか

 しかし、正しい個別指導を求める運動がこれで頓挫するわけではない。暮石訴訟の事例では、指導に歯科医師の同席を認めるか否かは国の裁量であると認定したまでである。裁量であるということは、無条件に拒否することを認めたわけではない。今後、個別事案によって同席を求める運動が閉ざされたと思うのは早計である。新規指導の場合に同席を求めることが後の時代の課題に託されただけである。従って国の側が、一律に同席を排除できるかのような言説をふりまいているとしたら、デマゴギーである。そのような愚論に保険医の側がくみする必要はない。暮石訴訟の原告である暮石歯科医師に対する個別指導は、「新規」指導であった。しかし、新規ではなく、通報により不正の疑いで、現在盛んに行われている監査のためにする個別指導は、大きく性格を異にするものである。不正の疑いをしっかりと晴らすために指導の場で自己の正当性を主張しなければ監査取消に直結する。まして、密室での傍若無人な振る舞いを伴う個別指導で、精神的な打撃を受けた先生の「再指導」の場合は、全く性質が異なってくる。正当性が十分論証できなければ、いつでも監査に切り替える武器=裁量を国が握っている。「・・・納得できなければ自らの主張を指導の場で述べればいいではないか。」という国の言い分を考慮すると、指導の性格によって「医師歯科医師同席の調整依頼」を一律に拒否する理屈は成り立たない。先日も、指導当日に自殺を遂げるという事件があった。不正の疑いをもったとしても、精神的に追いつめて保険医を死に至らしめるという裁量まで国に認められているわけではない。医師歯科医師同席問題が今後は、司法の場で争えないという大いなる誤解をしてはならない。

 確かに、判決という「勝負」に簡単には勝てないかもしれない。しかし、個別指導を苦にした自殺者が出るという人権侵害の宝庫である現状を変えることはできる。法廷での成果を法廷外でどう運動として生かすかというのが国賠訴訟の真骨頂である。

 

 暮石訴訟は、個別指導の現場を大きく変えうる貴重な財産を残した。そのことを原告とともに闘ってきたものとして誇り高い成果だと思っている。厚労省指導監査室には、判決文と国側準備書面の復習を促したい。遺された課題も大きいが個別指導国賠訴訟の第一幕が終わった。

 

 

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