2003年(平成15年)6月23日、元従業員から社会保険事務局に「手術をしていないのにしたこととして不正請求をしている」という情報がもたらされた。
それから10カ月後の2004年(平成16年)4月19日、104人分のカルテの持参を求めた上で個別指導が実施されたが、「時間内に解明できない」との理由で指導は中断された。
別に進められた患者調査では、元従業員の情報が虚偽であることが明らかになったにもかかわらず、社会保険事務局は個別指導を継続。
2回目の個別指導では、前日に112名のカルテを準備するよう指示された。
2回目の個別指導の数日後、突然「監査実施通知」が届けられ、監査が開始された。
この監査は、社会保険事務局の元従業員の情報に基づく個別指導に根拠がなかったという失態から、些細な間違いでも見つけ出そうとして4,690枚ものレセプトを調査し、7月8日から8月11日までの約1カ月間に8日間に及び、監査の度に前日の夕方、あるいは当日の朝に新たなカルテの持参が求めるという過酷なものであった。
耐え難い取り調べにより、食事ものどを通らない、耳も聞こえが悪くなるなど精神的・肉体的ダメージが極限に達する頃、社会保険事務局は監査調書への署名捺印を強要した。
社会保険事務局が不正・不当と指摘する内容について「きちんと確認して返事をしたい」という原告の要求に対して、「立会の先生も忙しい」、「みんな待っているのだから早くしていただきたい」と拒否され、強引に作り上げられた「監査調書」によって、2004年(平成16年)11月1日から5年間の取消処分を強行した。
原告の取消処分を知った患者さん達は急遽、患者会を結成し、陳述書や3,000名を超える署名を裁判所に提出するなど大きな運動が巻き起こった。
2004年(平成16年)12月に提訴した「処分取消請求訴訟」で神戸地方裁判所は2008年(平成20年)4月22日、
(1)原告の不正請求は、架空請求のように自己の経済的利益を得ることを主眼とする悪質な請求とはいえず、金額もさほど高額とはいえない、
(2)医院の廃業に加え、5年間にわたり勤務医の道も閉ざすことは、原告の行為に対する処分としてはあまりに酷である、
(3)個別指導等は複雑な保険診療の実務を習熟させる効果まで期待できず、原告個人の努力にも限界がある、
(4)個別指導により教導する余地もあったと考えられ、戒告等の措置を選択することも可能であったなどとして、
取消処分は「被告の裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があったものとして違法というべきである」と結論づける画期的なものであった。
5月2日、兵庫社会保険事務局は判決を不服として大阪高裁に控訴、2008年8月28日から2009年3月4日まで4回の弁論が開かれた。
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