公務員としての一線を越えてどこにゆくのか向本発言
Vol-2

2010年8月30日

指導・監査・処分取消訴訟支援ネット
代表世話人 高久 隆範

 

 向本氏は、m3.com編集長橋本氏のインタビュー後半部分で指導に対する保険医の気持ちや態度に関して、次のように述べている。

「・・・ぜひ申し上げたいのですが、・・・役所が指導に入るのに、そんなに気にされるのですか。・・・別にありのままを見せてもいいのでは・・・納得いかなければ、その場で議論すればいいでしょう。・・・指導を受けることに、そんなに気にされるのですか。・・・逆になにかあるのですかとなってしまう。・・・自信を持って診療されているのだったら自信を持って指導を受けてくれればいいのです。」

 上記の主張は、世間的には通りやすい言説であるが、個別指導の実態を無視した、行政指導一般へのすり替えである。そんな無邪気なことを信じる保険医はこの日本には少ない。「個別指導でえらい目にあった。」という話は山ほどある。「受けてよかった個別指導」という話は、聞いたことがない。

 それでは、個別指導の実態に迫って氏の言説を検証してみよう。

 

1.密室での個別指導

 氏も明言しているが、個別指導、監査への同席は、弁護士に限定している。

 ただし、保険医に配慮したからではない。譲歩したわけでもない。弁護士まで拒否したら訴訟対策上不利という理由からだ。以前から現場に対して、「頑強に拒否しないように」という趣旨の内部文書を出している。お役所の都合だ。ただし、素直に、録音、弁護士同席を認めてきたわけではない。やんわりと保険医の要望を無視してねじ曲げようとしてきた。この時の伝統的な決まり文句は、全国的に把握しているわけではないが、統一されている。「指導に録音、弁護士さんは、必要ないでしょう!」と。氏も、「・・・指導の場で本当にそこまで必要なのでしょうか。・・・」と言っている。「・・なんの必要があるのでしょうか。・・・・なぜ必要なのでしょうか。」と、執拗に録音、弁護士同席の必要性について疑問を呈している。大きなお世話である。

 必要かどうかは誰が決めるのか?指導を受ける保険医が必要だと思ったから録音、弁護士の同席を求めているにもかかわらず、づけづけと不要だという結論を押しつけようとする。「・・・我々も同じように録音させていただく・・・」というあたりは、意味がわからない。今でも録音しようとすると、「・・・先生が録音にこだわるとほかの先生の個別指導も開始できません。ご遠慮願いたい。」と、他の保険医の個別指導を盾に断念させることもある。

 いずれにしても、指導大綱の「出席者」と明記されている者以外で、お役所が認めているのは弁護士だけである。指導を受ける保険医側の出席者から医師、歯科医師の同席を断固排除している。一方的に指導を受ける側の同席要望を拒否する合理的理由はない。あるとすれば何十年来築き上げた個別指導の密室性を壊されたくないからだろう。

 私が、個別指導の会場に赴いて別室や会場入り口前で待機することが何度もあった。なんと、指導会場入り口には、お役人が仁王立ちして立っていた。まさかドアを蹴破って進入するとでも思ったのか。「この密室には通さないぞ!」という決意に満ちたものだった。

 指導会場を一般公開しろと言っているわけではない。希望する保険医を同席させて、指導時の指摘事項をありのままに聞かせれば、より指導効果が上がるのではないか。頑強に医師、歯科医師の同席を拒否するところをみると、医学論争で自信がないのだろうか。データは個人情報ということに言及しているが、個人情報保護法には関係はない。守秘義務にも関係はない。

 個別指導の人的構成から、保険医は孤立無援、常に多勢に無勢という圧倒的な不利な力関係におかれることになる。

 50年近くにわたって歴史的に形成されてきた「密室での個別指導」に、氏の言うように正々堂々と行こうと思うお方は、よほどの破天荒か単なる無知である。

 

2.指導時のやりとり

 さて、悪質医療機関と見込まれていなくとも、持参させられたカルテを中心に不正、不当の追及が始まる。過去の患者さんのその日の診療の記憶をたぐり寄せながら、事細かに答えることは、並大抵のことではない。返答に詰まればいっせいに追及の嵐である。立会人も一緒になって詰問することも珍しくはない。録音もなく、弁護士の同席もないときは、人格を否定するような罵詈雑言も噂ではない。弁護士同席の場合は、口調は丁寧になり人間扱いをする。しかし、懇切丁寧に追及して、「不正、不当」をあばく目的には変わりがない。

 カルテ記載が算定要件である場合、医療給付があってもカルテ記載を忘れた場合は、「不当」と断定してゆく。いくら自信を持った診療をしてもカルテ記載に不備があれば、「不当」請求という指摘事項が積みあがってゆく。たとえ、氏の言うように、問題のないと見込んだ医療機関であっても、指導時にカルテを「懇切丁寧」に読み込んでいった結果、小さなカルテ記載の不備も積もれば山となることもあるだろう。そうなってしまうと、即座に悪質医療機関という心証を持ち徹底的な追及を始めることができる。指導担当者の胸先三寸であり、お目こぼしもあるかもしれないが、技官に対して反論をしようものならどのような展開になるか。あくまで氏らの掌中にある。よくても経過観察か再指導という「執行猶予」という措置が待っている。

 要するに取り調べの手法を駆使する対象は、決して一部の者に限定されているわけではない。刃(やいば)は、すべての保険医に向けられている。

 検査権限がない個別指導で膨大なカルテ持参を求める本当の理由は、不正と不当を探し出すことにある。

 

3.指導と監査がどのように連動しているか

 「指導と監査は連動していません。・・・淡々と指導を受けてもらう分には、何も問題はありません。」と断じている。しかしだ。正々堂々と、淡々と指導を受ければよいと思ったら大間違いだ。

 これまでの指導、監査の実態に即してそんなことが本当に言えるのか。診療実態があろうが指導、監査の場ではカルテ記載がないことは何もしなかったこと、という結論にされてゆく。正々堂々と主張しても聞く耳を持たなければ無意味なことだ。カルテ記載に不備があることをもって「不正」「不当」と徹底的に追及するのが氏らの手法である。すべての反論は、「記載の不備=算定要件を満たさない」という決めゼリフで医療行為とともにその正当性は、否定される。このようなことを「屈辱」という。そしてその向こうに監査への入口が待っている。

 いろいろ述べているが、指導の時間をあえて定めていない。なぜか。「個別指導の中断」、「個別指導中止」を確保するためである。「指導の効果が上がらない。」という口実を持ち出せば何時間でも指導することができる。しかし、時間には限度があるので「指導が終わらない。」ということで、その日は「中断」にする。後日「指導再開」となる。その間に患者調査を行うことができる。患者調査での情報をもとに指導再開はいつでもできる。一ヶ月間に8回の個別指導(週二回個別指導)という超過密もあるが、中断のまま一年過ぎることもある。要はお役所の都合で呼び出せばいいのである。

 誤解されやすいので、「指導中断」ではない「指導中止」について確認しておこう。今までどのようにやってきたか。「中止」は、監査に移行するという意思表示と同じで、指導では事実確認ができないという宣言である。あとは監査しかない。患者調査も済んでいることが多い。

 監査への入り口が「指導中断」であり、「指導中止」である。すべて明示していないが、指導大綱も指導と監査を連動させるという裁量を指導担当者に与えている。指導、監査の中枢にいる氏が、そのような運用実態を知らないわけはない。

 「個別指導→中断→患者調査→再指導→監査→取消」と、「個別指導→中止→患者調査→監査→取消」というリンクは、構造化されて多くの「実績」を上げている。いつでも取消につながる監査の扉が大きな口をあけて待っているのが個別指導である。闇の世界である。指導担当者の資質の問題ではない。仕組みの問題である。

 この監査への連動というまぎれもない実態を無視して、主張する氏の言説は、戯れ言である。

 

Vol-3へ続く 

 

 

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