公務員としての一線を越えてどこにゆくのか向本発言
Vol-4(最終)

2010年9月13日

指導・監査・処分取消訴訟支援ネット
代表世話人 高久 隆範

 

 これまで検証してきたように、向本氏の言説の共通した思想は「徹底的な取り調べ」であり、悪事をあばくためには裁量権を超えてもやむを得ないという確信犯だ。誰もそう思っていないのに「医療Gメン」を自称するところが氏らの自意識である。

 しかし、氏の個人的な思いだけではない。警察との人事交流まで打ち出して提案を出したところは、氏および指導監査室のそれなりの「情勢判断」があったのではないか。指導監査の実態と保険医側の動きをふりかえってみよう。

 

1.行政手続法以前の個別指導の実態

 皆保険後50年以上にわたって指導、監査の世界では、氏のいうところの徹底的な追及が行われてきた。行政手続法以前には、録音も認めなかったため、密室で多くの人権侵害が行われてきた。個別指導を受ける保険医の方も指導とはそのような追及を受けるものと思っていた。嫌なものであるが、台風が過ぎるのを待つかのようにおとなしく屈服してきた。指導後に自殺者が出るというのは、伝承されてきた。多くの保険医が沈黙を強いられ、「如何にうまくすり抜けるか!」がもっぱらの保険医の間では話題の中心であった。

 無権利状態であったが、指導を受ける側も、指導の段階でうまくしのげれば実害が少ない。如何に監査に持ち込まれないようにということが対策の中心であった。抵抗する人間も団体もない中で、おごり高ぶった技官の暴言は、日常茶飯事であった。

 氏は、技官の資質に関してm3橋本氏の質問に対しては、「噂」で済ましているがそれは事実とは違う。厚生省時代から今日まで、一貫して指導、監査に関しては、各都道府県に自由に任せたことはない。保険局長の直接指揮監督権限のもとに置かれてきたからだ。仕組みとして保険局長の専管事項であり続けてきた。氏のニュアンスだと厚生局移管以前は、現場に任せていたように聞こえるが、仕組み上それはありえない。「噂」を聞く立場ではなかったことを事実の問題として指摘しておく。

 厚生省の時期に、東京まで出かけてお役人に指導の問題をただしたときに即座に彼等は、「技官の資質の問題は、厚生省が上級官庁でなく社会保険庁であるので我々に言われても社会保険庁に伝えることしかないが」と逃げの答弁を行っていた。技官の人事権が社会保険庁にあった為、問題を技官の資質に矮小化するのに好都合だった。

 違法な技官の審査委員兼業によるアルバイトも黙認されていた。氏はそのような過去も知っているはずだ。

 

2.行政手続法以後の指導への疑惑と怒り、そして訴訟

 行政手続法施行と時を同じく、新指導大綱、監査要項ができた。それでも指導現場が改善されたわけではない。その後、自殺者が出ても抗議集会と追悼集会までで終わっていった。なぜか。今も昔も、個別指導に関わることは、監査取り消しにつながるため、「お願い」すること以上のことができなかったからだ。遺族が訴えて「表沙汰」になることもなく、何人自殺者が出ようが指導監査という闇の世界が変わらないように見えた。「個別指導は、行政手続法の適用を受けない!」と公言した指導監査室の人間もいた。いや、行政手続法の適用を受けるという法的常識を口にするお役人は皆無だった。この脱法感覚は、氏の世代にも確実に継承されているように思える。

 それでも、一部の保険医が行政手続法を活用して個別指導の改善を訴え、地域的に録音、弁護士の同席を実現した。これは地域的な例外だった。「取り調べの論理」からいうと、邪魔者であるので、極力妨害したことだろう。人権に関わる問題を含む運動は、妨害をはねのける少数の志をもったものによる抵抗の中でしか前進しない。また、指導の根幹に関わる重大な問題が行政手続法を活用しようとする中でおきた。「指導の場で指摘されたことと、指導結果通知書の内容が一致しない!」というものだ。録音を想定していなかったためであろう。指摘事項が「検証」されることなどありえないというお役人の思いこみが崩れ始めた。
 技官の罵詈雑言、言いたい放題の暴言だけでなく杜撰な指導が行われていた。指導全般に対する怒りが高まった。この行政手続法を活用し始める頃から個別指導の根本問題が、技官の暴言(技官の資質)にあるのではなく「手続きと内容」(指導そのもの)にあることへの理解が一部で共有された。指導全般に対する怒りに根拠があり、その解決の道筋をつけようという努力がささやかながらも続いた。行政手続法ができたから一気に改善運動が進んだわけではない。改善しようという主体があって、初めて行政手続法が生かせる場面が増えたということだ。法律が先ではない。法律論争をしても指導監査室のお役人は、痛くもかゆくもない。俺が法律だと思っているからだ。都合の悪い法律は黙殺してでも業務を遂行するという本性は、今も生きている。

 やがて、指導選定理由開示を争点に青森の成田歯科医師が提訴した。画期的なことだ。不当にも成田訴訟(青森)では、一審で選定理由を開示しないという国側主張を追認している。今後、控訴審での闘いが続く。

 氏が、政策コンテストに警察との人事交流を提案し、m3橋本氏とのインタビューで個別指導時の録音、弁護士帯同に限定して認めたのは、以上のような文脈の中で、理解しなければならない。権利に関わる闘いのせめぎ合いの中で、ある種のいらだちが蓄積してきた。行政手続法を盾に抵抗してくる流れを断ち切りたい。処分取り消し訴訟がこれ以上広がることを阻止して封じ込めたい。そのような強烈な思いが公務員の一線を越えた発言になってしまったのではないか。社会保険大学校の事務指導官カリキュラムには、「訴訟対応」という項目がある。討議の時間も確保している。

 指導現場での保険医側の抵抗と処分取り消し訴訟の闘いによって、名実ともに指導監査室が司令塔として姿を現したのである。

 

3.暴露された監査の闇:分断統治

 この部分にはあまり氏は、言及していない。指導監査の重大な問題がこのプロセスに凝縮しているからだ。そして、一貫したメッセージを発している。「何も悪いことをしていなければ指導を気にする必要はないじゃないですか。」と。悪いことをしなければ監査にならないことを自明の前提にしている。事実はそのようなものではなかった。

 監査の実態が暴露されたのは、細見訴訟、溝部訴訟、塩田訴訟など処分の取り消しを求める画期的な提訴以降である。それまで多くの保険医は、「監査までいってしまうのは、よほどのことがあったに違いない。」と刷り込まれていた。お気の毒ではあるがやむを得ないのだろうと。

 今も昔も監査の実態は変わっていないが、なぜ同じ立場の保険医が監査を受ける先生方を「極悪人」のようにみてしまったのだろうか。やはり、密室の中で徹底的に事実が隠蔽され、「塀の向こうの世界」にされてしまったからだ。例外なく取消処分になった医師、歯科医師は、村八分にされた。「監査イコール取り消しイコール極悪人」という等式ができたからだ。

 氏は、次のように語っている。「提案の趣旨ですが、全体で見ればすばらしい先生方、医療機関が大半です・・一部に問題のある医療機関、医師がいることが分かります・・従来から、こうしたケースがあるという事実を皆さんに認識していただきたい。要は、何もかも徹底的にやるわけではなく、いい先生方は数多いのに、問題のある先生方が一方にいる。こうした人たちを調べなければ、他の良いことをしている、一生懸命やっている先生方にとってマイナスになるのではないでしょうか。」と。

 氏のいうように指導の段階で悪質と見込んでいる以上、監査段階は極悪人扱いが当然ということになる。「善と悪」という単純な二分法により、50年にわたって指導監査という手法で保険医が分断されてきた。「不正請求を擁護しない!」という道徳スローガンが運動団体の中で繰り返し出てくるのも分断統治のたまものである。訴訟を決断した原告が共通して、「監査になった時点で多くの同業者、同窓ですら潮が引くように自分の周囲から遠ざかっていった。保険医に復帰するまでは、しゃばに出られない心境だ。」と語っている。多くの保険医が「分断統治」のもとで監査には無頓着であった。この分断統治という思想を上記の発言で氏はみごとに継承している。

 


 向本氏が公務員としての一線を大胆に踏み越えてまで行った提案について、指導、監査の現場に関わってきた立場から検証してきた。裁量権無限大とも思える権限をフルに稼働してもまだ飽き足らない。健康保険法の枠組みを超えようという試みである。現在の健康保険法は、旧内務省社会局の系譜で、80年以上前にできたまま基本線を崩されずにきた戦前法である。指導監査の抜本的な改善はこの本法の改正に手をつけなければならないと考えている。天下の悪法である。氏と立場は真逆であるが、その枠まで壊そうという提案は政策要求ではない。立法府に付託されることだ。残念ながら政権交代にもかかわらず、厚労省の指導監査部門に関しては政治主導が実現していない。

 最後に、向本氏のような現職で重責を担っているお役人から、インタビューを通じてここまで赤裸々な心情を引き出したm3編集長橋本佳子氏に敬意を表したい。あのような記事が出なければ向本氏の本当の気持ちを推し量ることが困難であった。

 

 

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