これまで、処分取り消し訴訟は、一審勝訴しても二審の高裁段階で原告の先生が敗訴してきた。
5月31日の東京高裁での溝部訴訟控訴審判決期日が決まってから毎日が「一審をそう簡単に覆せないだろう、いや国相手だ。所詮裁判所も国家権力の一員だから逆転敗訴なのかな。でも法律家の良識を信じたいよな。」等々、あれやこれや禅問答をしてきた。
そして溝部先生の勝訴を祈りながら31日の判決当日を迎え傍聴に参加した。11時半から判決申し渡しである。訴訟を支援する数少ない保険医協会の人たちと法廷に入った。国側弁護士さんと、訴訟支援を拒否した団体の方も国側勝訴を見届けに来たのか?傍聴に来ていた。業界紙の記者の方々、患者会の方々皆緊張している。傍聴席のクッションは良いが緊張が解けない。
そのうちに書記官の人が、「判決を中で聞きたい方はどうぞ。」という想定外の案内があった。傍聴人を原告、弁護人が座るところに案内をする?中まで入れて敗訴だったらたまらない。意地の悪い案内かもしれないので誰も中には入らない。
定刻ジャストに溝部先生、弁護士の石川先生が廷内に着席した。緊張気味の溝部先生と対照的に石川先生は、悠然となぜかパソコンを開いている。
そして裁判官が入廷してきた。3人とも穏やかな表情で着席。そして裁判長が主文を読み上げた。「控訴人の訴えを棄却する。」一瞬、「控訴人ってどっちだっけ?そう、国だ。」と思った瞬間、皆立ち上がり「勝ったぞ!やったぞ!」と、歓声を上げた。溝部先生、石川先生は、満面の笑みだ。この日本で初めて控訴審という高いハードルを越えて溝部先生の主張が認められ、国が断罪され、患者さんの声が届いた歴史的な瞬間だ。患者会の人は涙を流していた。
溝部先生の開業地は、弁護士の石川先生、患者さん以外、同業の医者、医師会、保険医協会などみな敵という、未曽有の地、山梨だ。そこでの不屈の闘いが、実を結んだ。厚生局は早速、「たいへん厳しい判決」とコメントした。国は素直に反省をして不毛な上告などやめてしまえ。
さらに言うが、未曽有の地、山梨で一貫して処分する行政側に立ってきた、山梨県医師会、小児科医会、保険医協会は、二審でも勝訴という事態にどうするのか。コメントを求めたい。国に対して、上告して争えと思っているのだろうか。(多分そうだろうな)
負ける喧嘩はしないという合い言葉で、裁判闘争を揶揄、誹謗するむきもある。そのような俗説も見事に粉砕された。不屈の闘いの結果、国の裁量にも法の支配という光がさしてきたのだ。
裁判は負けることもあるが、勝つこともある。31日は、保険医にとって歴史が変わった日と思いたい。指導監査という闇の世界に鉄槌が下ったのである。
溝部訴訟(山梨県)
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