2011年(平成23年)5月31日の溝部訴訟控訴審判決は、一審で勝訴しながら高裁段階で逆転敗訴した細見雅美医師や飯塚真也歯科医師の訴訟で、大きな壁となった行政の裁量権に制限を加えるなど歴史的な判例となった。
取消事由とされた「不正・不当請求」の多くが、事実認定において覆された。東京高裁判決の注目点について触れてみたい。(文責:支援ネット事務局)
東京高裁判決については、(1)取消処分の理由(不正・不当請求の事実)の一部が認められないと判断するか否か、(2)裁量権を逸脱したと判断するか否か、(3)手続上の違法があると判断するか否か、(4)(2、3)の判断にあたって、社会保険事務局長が権限を有ない診療内容や、地方医療協議会が本来審議対象とすべきでない事実について審議されるなど、審議過程の瑕疵について認定するか否か、(5)健康保険法令の枠組みの構造的問題に踏み込むか否かなど、多くの注目点があった。
取消処分の一つの理由とされたインフルエンザ検査について、一審判決は「原告が行った2回以上の検査は不当検査に該当すると言わざるを得ない」としたが、東京高裁は臨床の実態に即して「1シーズンに3回以上の検査が保険診療上必要な限度を超えた不当検査とする控訴人(=国側)の主張は採用することはできない」と国の主張を退けた。
さらに、監査の際に指導官から「3回目以降は不当請求となる」との指摘を受けたことから、溝部医師が患者個別調書で不当請求を「認める」と記載した事実についても、「被控訴人自身(=溝部医師)が、どのように評価したかは決定的な意味を有するものではない」として、国が処分の有力な証拠とした患者個別調書も「(国の主張を採用できないとした)認定を覆すに足りないというべきである」との判断を示した。
さらに一審判決で「対面診察をしていなかったというべきである」と認定した「無診察投薬」に関する多くの事例について、詳細な検証に基づいて「対面診察している可能性が高いというべきであり、受診した事実がなかったと認めることはできない」と判示するなど、取消事由の存否について大幅な訂正がなされている。
行政の裁量権について一審判決は「取消処分の効果の大きさからすると、本件各取消処分は重きに過ぎる」としていた溝部医師の主張を、本来の「重きに過ぎ、比例原則に反する」と改めるなど、取消処分が裁量権の範囲を逸脱したものであることを認め、比例原則による制限を加えたことは極めて重要な判断といえる。
さらに取消処分の判断において、「監査要綱の定める基準に該当していれば、特段の事情がない限り裁量権の逸脱・濫用はない」とした上で、「裁量権の逸脱・濫用の有無の判断にあたって動機をはじめとする事情を勘案することは考慮に値しない」とする控訴人の主張について、監査要綱が定める取消処分基準が考慮すべき中核的な事情であることを認めながら、「保険医療機関の指定及び保険医の登録の各取消処分が事実上、医療機関の廃止及び保険医としての活動停止を意味する極めて重大な不利益処分であることに鑑みると、健康保険法の解釈として、処分の際に考慮すべき事情がこれに尽きるということはできず、処分の理由とされるべき行為の動機をはじめとする上記の諸事情も処分にあたって考慮しなければならないと解すべきであるから、控訴人の主張を採用することはできない」として、「その裁量にも限度があるというべきであって、処分理由となった行為の態様、利得の有無とその金額、頻度、動機、他に取り得る措置がなかったかどうか等を勘案して、違反行為の内容に比してその処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があったものとして違法となると解するのが相当である」との一審判決を引用している。
この点、細見訴訟における神戸地裁判決が「本件取消処分は、処分事由となる原告(=細見医師)の所為と対比して過酷に過ぎ、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるから、被告(=国)の裁量権を逸脱し又はその濫用があったものとして違法というべきである」としたのに対し、「取消事由が悪質なものと言うことができるから、本件取消処分が被控訴人(=細見医師)の所為と対比して過酷に過ぎ、著しく妥当性を欠くとまではいえず、控訴人(国)の裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法なものということはできない」とした大阪高裁判決と対称的である。
健康保険法に取消処分の規定が設けられたのは明治憲法下の1942年(昭和17年)2月であるが、それ以来70年近く経過して初めて高裁段階で行政の広範な裁量権に法による規制の必要性を認めた歴史的な判例となった。
今回の判決は、長年保険医を苦しめてきた指導・監査や取消処分の在り方を改善するうえで大きな力となるものである。
今回の東京高裁判決は、一部の医療関係団体・個人しか支援をしないという状況下で、取消処分から7年に及ぶ溝部達子医師の筆舌に尽くせない努力と、これを支えてこられた石川善一弁護士、「山梨小児医療を考える会」の皆さんのご奮闘によるものである。
2004年9月〜
山梨社会保険診療報酬請求書審査委員会小児科委員が「インフルエンザ感染症の確定病名が多い」との理由で、山梨社会保険事務局に溝部医師に対する個別指導を実施するよう要請。甲府市医師会副会長からも「疑義を感じる」等の情報提供が行われ個別指導実施。指導は中断、患者調査後に再開されたが監査に移行。
2005年6月〜11月 聴聞手続
2005年11月
山梨社会保険事務局が保険医療機関指定と保険医登録取消処分。甲府地裁に処分取消請求訴訟を提起すると同時に執行停止の申立
2006年2月 甲府地裁が執行を停止する決定
2010年3月 甲府地裁が処分を取り消す判決
2010年4月 甲府地裁判決を不服として国が控訴
2011年5月 東京高等裁判所が国の控訴棄却
溝部訴訟(山梨県)
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