2011年(平成23年)10月30日、島根県保険医協会の主催による溝部達子医師の講演会が開催され、その様子が島根保険医協会報(11月5日付)に掲載されました。同協会のご厚意により、下記に転載致します。
当協会は10月30日(日)、保険医取消の取り消しを求めた裁判で勝訴した溝部達子先生(甲府市=みぞべこどもクリニック)を迎えての講演会を松江市で開催。溝部先生は個別指導、監査、提訴、勝訴までの、7年に及ぶ道のりを語りました。
溝部先生は、「勝訴できた自分は特別、奇跡的なケース、構造的な問題は裁判後も何ら変わっていない。健保法、療養担当規則を改正し、行政権を法律で縛ることが必要」と訴えました。
時折、声を詰まらせながら話す姿に、60名の参加者(指導問題に理解示す山陰両県の弁護士15名含む)は、固唾をのんで聴き入りました。
溝部先生は、2004年9月、「インフルエンザの診療が異様に多い」ことを理由に、山梨社会保険事務局(当時)の指導を受けますが、指導の理由とされた「点滴の件数が多い」「検査が多い」「輸液の量が多い」等について、患者調査で正当に行われていることが明らかになったにもかかわらず(指導を中断し、指導の段階ではできないはずの患者調査を当局は実施した)、指導は継続されました。そして、その後の追求項目は「非対面処方=無診察処方」に変わったといいます。
それもそのはずで、後に開示資料で明らかになったことですが、その指導は「取消ありき」、即ち監査、保険医取消が、その時点で予定されていた指導だったのです(その背景はここでは割愛いたします)。
その時の指導(2004年9月)では、溝部先生がいくら患者の状態を考えての医療行為だと主張しようとしても、保険指導医は「患者のことは話すな」「患者の言うことは聴くな」と、事務指導官は「嘘を言っていますね」と、その弁明を全く許さない態度に終始したそうです。
そして2005年3月、監査が実施され、非対面処方=無診察などが不正請求とされました(後の裁判では、多くが対面処方と認められた)。孤立無援の中で精神的に追い詰められた溝部先生は、立会人にも「駄々をこねるな」と言われ、個別調書にサインしてしまいます。
そして監査後の聴聞手続きを経て、クリニックの保険医療機関指定と保険医登録が取り消されたのです。
溝部先生は直ちに、甲府地裁に、取消の執行停止を申し立て、翌2006年2月にはそれが認められました(それまでの間は自費診療)。
その後の、今年5月31日、東京高裁での勝訴が確定するまでの経過は、これまでお伝えしてきた通りです。
次に患者会の活動を紹介します。
監査を受けた段階で、溝部先生はクリニック閉鎖の方針を患者さんに伝えたのでした。しかし、そこで立ち上がったのが、日頃先生にお世話になっている患者さんたちでした。
2005年3月、患者462名、賛同者192名の計654名が「患者会」(山梨小児医療を考える会)を結成。翌4月には甲府市人口の14%に相当する2万7,430人分の嘆願書を社会保険事務局に提出。6月には300名以上が社会保険庁宛にクリニックの存続を求める手紙を送付したのです。
また「不正」「不当」と断じられた医療を受けた患者さんたちが、その医療によってどんなに救われたかを手紙に認め(大人も子どもも)、甲府地方裁判所と山梨社会保険事務局に送付しました。
無診察処方とされた一例は、母子が発熱で受診し、A型インフルエンザが出た。家で夫も同じ症状で苦しんでいるのを聞き処方した。この緊急避難的な行為も、取消の一因とされました。患者さんたちは、「悪いのはそのような医療制度」と、溝部先生を救う行動に踏み出したのです。
溝部先生は診察を「診断に必要な情報を得ること」と定義しました。
もう一人、大きな働きをしたのが代理人の石川弁護士です。元々、保険医療機関、保険医の取消について諮問を受けて答申する社会医療協議会の公益委員だったのですが、公益委員の職を辞し、溝部先生の代理人となったのでした。「私は弱い人の味方になろうと弁護士になりました。その本分を全うします」と。
溝部先生は以上の経過を話したうえで、「勝訴できた自分は特別、奇跡的なケース、構造的な問題は裁判後も何ら変わっていない。健保法、療養担当規則を改正し、行政権を法律で縛ることが必要。行政権を縛る規定が健保法には全くない。療養担当規則に違反すれば誰でも取消になる可能性がある。「不正」「不当」の解釈も、「しばしば」の解釈も担当官の気持ち一つで決まる。誰が取消になってもおかしくない」と、厚労省の裁量権が広汎であり、それを縛ることの必要性を訴えました。
そして、「保険医の診療権」は、国民(患者)の「受療権」であるとも。
まとめとして、「無関心を装うことは罪悪である」というマザー・テレサの言葉を紹介し、「いじめるほうに加担するのはもってのほかだが、無関心を装い黙っているのも罪悪と考える。本当の問題は何であるのかということを、皆保険の中で見失ってしまったのではないか。一度見失ったのを見出して、何が必要なのか、何をしなければならないのか、それを先生方に考えて頂きたい。こうなったのは自分の運命と考えている。その運命を受け入れて、二度とこのような悲劇が起きないよう、そして、若い保険医のため負の遺産をのこさないよう努めたい。保険行政の改革に力を尽くすることが私に与えられた使命と考え前へ進んでいきたい」と結びました。
溝部訴訟(山梨県)
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