2011年9月10日、青森県の「保険医への行政指導を正す会」(大竹進代表)と「指導・監査・処分取消訴訟支援ネット」(高久隆範代表世話人)共催によるシンポジウム「指導・監査・取消処分の現状と改善の課題」が東京都内で開催され、21都府県から80名が参加した。
シンポジウムでは、溝部訴訟代理人の石川善一弁護士、原告の溝部達子医師、山梨小児医療を考える会の山本大志副代表、ルポライターの矢吹紀人氏の各シンポジストの報告に基づいて活発な質疑が交わされた。
(1)高久隆範支援ネット代表世話人の挨拶・(2)石川善一弁護士の講演要旨を紹介する。
高久支援ネット代表は、溝部訴訟東京高裁判決が確定し各地の訴訟にも影響を与える画期的な成果となったと述べるとともに、厚労省は新たな訴訟対策を進める動きがあると指摘。
こうした状況のもとで開催する今回のシンポジウムについて、「長い『闇世界』にあった指導・監査の世界には俗論や誤解に基づく迷信、意図的な歪曲に満ちており、溝部訴訟に基づいて事実を明らかにするとともに、東京高裁判決によってもたらされた一筋の光を全国に届けるような会としたい」と、同シンポジウムの目的を述べた。
石川弁護士は、溝部訴訟への支援に謝辞を述べるとともに、「東京高裁H23.5.31判決(溝部訴訟)の意義と今後の課題」と題し、以下の講演を行った。
「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法76条3項)ことから、判決は憲法と法律に従った判断である。そこで、判決の意義と課題を考えるためには、法律(ルール)の基礎を知ることが必要となる。
あらゆるルールは、大きく「実体ルール」と「手続ルール」の2種類に分けられる。
身近な例として、相撲におけるルールも、「土俵内の砂に足の裏以外の体の一部が早くついた事実」などの勝負規定によって負けを決める「実体ルール」と、行司による「軍配」(事実認定)やその判定に異議がある場合の「物言」、審判長が協議により最終決定する「手続ルール」に基づいている。
しかし、保険医の処分を決める「実体法規」では、健保法72条1項(「保険医は、厚生労働省令で定めるところにより、健康保険の診療に当たらなければならない。」)を根拠に、「療養担当規則」(厚生労働省令)に違反すれば「登録取消処分ができる」(法80条1項)とされ、極めて広い要件となっている。
また、「監査要綱」(保険局長通知)が定める保険医の取消処分基準は、①故意に不正又は不当な診療を行ったもの、②重大な過失により、不正又は不当な診療をしばしば行ったもの、という2類型しかないなど(保険医療機関の指定取消も同様)、処分基準に殆ど縛りがない。
勝負でいえば、保険医はすぐ負ける実体ルールになっている。
その限られた例外(救済)は、裁量権の逸脱・濫用があった場合に限り裁判所は取消処分を取り消すことができるというルールである。
取消処分の手続法規では、健保法78条1項の監査(行政調査)手続においても、「厚生労働大臣は…必要があると認めるときは」「報告若しくは診療録、その他の帳簿書類の提出」を求めることができるなど、厚生労働大臣の調査権限は極めて強く、監査に応じない場合には「取消処分ができる」(同法80条5号、81条2号)との定めは極めて異例な立法といえる。
一方、処分を受ける側の手続上の権利については、行政手続法3条14号で「職務の遂行上必要な情報の収集を直接の目的としてされる処分及び行政指導」においては適用除外とされている。
また、本来不利益処分を受ける者の処分庁への質問権や陳述・証拠提出権などを保障した「聴聞」手続(行政手続法15条〜28条)においても、その主宰者が処分庁の職員であるという根本的な限界がある。
さらに、不利益処分について答申を行う地方社会保険医療協議会の機能も、極めて不十分と言わざるを得ない。
溝部訴訟控訴審における実体上の違法に関する争点は、「取消処分の要件・基準に該当し且つ相応する事実があるか」ということであり、具体的には(1)本件各取消処分の理由たる事実が全て認められるか、(2)認定された本件不当請求等の事実は、取消処分の基準(不正・不当請求等を「重大な過失」により「しばしば」したもの)に該当すると評価できるか、③本件各取消処分は、平等・比例原則に反して違法(裁量権逸脱)ではないか、ということである。
また、取消処分に至る手続上の争点は、(1)各取消処分の理由(事実と根拠法規)の提示が適法であったか、(2)各取消処分に係る聴聞の手続が適法であったか、(3)取消処分に関する聴聞終結後(地方社会保険医療協議会)の手続が適法であったか、というものであった。
国は、健康保険法80条及び81条は、保険医が療担規則に違反する事実があったかどうか、取消に値するかどうかの判断については厚生労働大臣又は地方社会保険事務局長の「広範な裁量に委ねる立法政策によっている」として、「行為の動機をはじめとする…各事情を考慮することは、健康保険関係法令の趣旨・目的との関係で考慮に値しない」との主張を行った。
これに対し当方は、(1)厚生労働省令違反があれば、保険医(療機関)指定の取消処分が「できる」立法政策は、大日本帝国憲法下の昭和17年の健保法改正以来変わっておらず、憲法13条(人権最大尊重の原理)に基づく比例原則に適合しないこと、(2)誰を監査対象にし、取消すか「広範な裁量」により判断できるという健保法令の構造上の問題が保険医に恐怖心を与え、一方で担当官への贈収賄事件、他方で保険医の自死という二つの制度的病理現象を引き起こしていること、(3)以上の事実から、憲法適合的な限定解釈が必要であるとの主張を行った。
多くの保険医が犯す可能性の高い療担規則違反があれば、取消処分が「できる」という構造が制度的であるため、二つの病理現象は繰り返されることになる。
療担規則違反等の実体上の違反の事実認定に関して、東京高裁は、取消処分の原因の事実(「不正」「不当」の事実)の証明責任は国が負うという判断を前提として認定をおこなった。その結果、原判決(甲府地裁判決)における一部の事実認定を変更するとともに、インフルエンザウイルス迅速診断検査について、国の「1シーズン3回目の検査は不当検査」との主張に対し、「控訴人の上記主張の前提事実は十分な根拠を有するものとは認めがたい」「保険診療上必要な限度を超えた不当検査であるとする控訴人の上記主張は採用することができない」と認定した。
これは、「診療上必要」がないことを国が医学的に証明しない限り、「不当」検査とはいえないことを示している。
同判決によって、行政庁の「診療上の不正・不当」判断について反証することは必要だが、保険医の側が不正・不当でないことを証明する必要はないといえる。
さらに裁量権の逸脱の判断に関しては、(1)結論として、保険医療関係の行政処分について高裁では初めて裁量権逸脱と判断し確定した、(2)その判断の理由として、取消処分にあたっては、監査要綱の基準の他に諸事情を考慮すべきこと及び「違反行為の内容に比して」判断することを明示した、(3)その諸事情の一つとして、医師会等との三者申し合わせを認定した上で考慮したものとなった。
特に、原判決に加えて、「各取消処分が事実上、医療機関の廃止及び医師としての活動の停止を意味する極めて重大な不利益処分であることに鑑みると、健康保険法の解釈として、処分の際に考慮すべき事情が監査要綱の定める基準に尽きるということはできず、処分理由とされるべき行為の動機をはじめとする上記の諸事情も処分に当たって考慮しなければならないと解すべきである。」と明言し、国の控訴理由を排斥した意義は大きい。
広範な裁量権による取消処分制度の憲法適合性・構造的問題には触れず、(1)「事実認定」と(3)「裁量権の逸脱」のみによる救済にとどまった。(2)監査要綱の現行処分基準との関係では適法と判断した高裁判決の限界は、現行処分基準では健保法による国の広範な裁量権を制約できないことを示している。
(1)処分の理由(事実と法規)の提示、(2)処分に係る聴聞手続、(3)処分に関する聴聞終結後の手続について、いずれも「適法」と判断した。このような高裁判決の限界は、現行法のままでは処分を受ける側の手続上の権利は全く不十分であることを示しており、適正な手続法の実現が課題となる。
高裁判決は、(1)行政処分の原因事実についての証明責任の所在の一般原則(行政庁に証明責任があること)に従った事実認定をし、(2)比例原則の観点から、取消処分が極めて重大な不利益処分であることに鑑みて、監査要綱が定める基準以外の諸事情も考慮しなければならないと解するなど、健保法に対する限定解釈によって広範な裁量権を制約した。
本件一審の訴訟活動において、細見訴訟一審判決をプラスの証拠としたように、今後は、本判決を証拠とすることによって、(1)他の取消処分後の司法救済において、他の裁判所が同様の判断をすることを期待しての訴訟活動、(2)取消処分に至る前の行政手続においても、行政庁が本判決に沿う対応をすることを期待しての主張、質問、証拠提出活動などに活用することが重要である。
しかし、これらは、個々の事例に対する事後的な、いわば対症療法にとどまる。
裁量権の逸脱・濫用を許さないためには、その原因たる広範な裁量権を制約する必要がある。行政庁の裁量権を制約するものは、法律(国会による立法)、法律の委任に基づく政令(内閣による)、省令(省庁による)、法令に関する通達(行政機関内部における指針)であり、これらは一般に全ての行政庁の保険医療機関・保険医に対する指導、監査、処分に及ぶものである。
適正な実体法への改正を進めるため、まずは通達(監査要綱の取消処分基準)改正、最終的には法律(健保法)の改正により、行政庁の裁量権の範囲自体を限定することが一般的な事前予防(「法律による行政」=法律により行政を縛ること)となる。ちなみに、道交法では政令で詳細に基準が定められており、警察官の恣意によって行政処分の内容が異なることはあり得ず、法治国家のあるべき姿といえる。
裁量権の範囲を限定する方向性としては、(1)東京高裁が考慮した諸事情を取り入れること、(2)各事情の考慮の仕方を点数化・ランク付けすることが考えられる。
手続ルールについては、まずは(1)個別指導・監査における弁護士の同席と録音の実践、(2)行政手続法18条に基づく聴聞における全証拠資料の謄写、(3)地方社会保険医療協議会に対し請願法に基づく請願など、運用の改善を図る必要がある。
なお、最高裁H23.6.7判決(建築士免許取消処分取消訴訟)によって、最高裁は行政手続法を重視しているという主張もできる。
最終的には、(1)健保法改正によって、監査における立会人(弁護士)の選任権を法律上与える、(2)行政手続法改正により、聴聞において不利益処分の具体的事実を特定する資料全部の閲覧謄写を拒否できないことを明記する、(3)社会保険医療協議会法改正により、地方社会保険医療協議会に出席して陳述・資料提出する権利を保障するなど、適正な手続法への改正を行うこと等が課題として考えられる。
以上のような実体・手続いずれの改正を行うにも、大きな力が必要であり、医療関係団体の対応に期待したい。
憲法13条は人権最大尊重の原理を定めているが、まず、医師(保険医)の人権を「営業権」「経済的自由」の側面でとらえると、憲法訴訟では制約が大きくなるので、そのようなとらえ方は避けたい。
実体法上、現状では様々な療担規則違反があるが、その違反さえあれば取消処分ができるという健保法の要件は広範であり、取消処分の基準が不明確で、厚生労働大臣の裁量権が極めて広範なものとなっている。
保険医の人権という観点からは、比例原則に基づいて、違反行為の内容に応じて、取消処分に加え、長期・短期の「停止処分」を設ける場合であっても、各処分の基準を厳格なものにしなければならない。
なお、7月の講演で「遅れた世界で保険医の権利が保障されていない」と言ったのは、厚労大臣の裁量権が極めて広範であることから、絶対君主の権力を制限して個人の権利・自由を保障しようした近代立憲主義の歴史に照らして、また、様々な行政処分について行政庁の裁量権を制約している法令(例えば運転免許の取消・停止処分についての道路交通法及び同法施行令)に比べて、「遅れた世界であって、保険医の権利が保障されていない」という意味である。
また、手続法の面では、憲法31条で「法律の定める」適正な手続によらなければ「刑罰」を科せられないという適正手続が保障されているが、保険医への処分手続においても、憲法31条の趣旨が生かされるべきであって、法律によって医師(保険医)の手続上の防御権の保障がされなければならない。
実体上も、手続上も、法律によって行政権を縛れば、保険医の権利が拡大し、安心して診療できる環境をつくることにつながる。
これからの健保法改正の観点としては、「医師の人権」にとどまらず、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)に基づく国民(患者)の人権の観点が必要であると考える。
本来、憲法が保障している国民の「健康的生存権」の理念を実現するためには、国民の保険による「療養給付を受ける権利」すなわち「受療権」「療養権」を確保する法律が定められなければならず、国民の「受療権」のためには医師(保険医)の「診療権」が確立されなければならない。
ちなみに、報道機関の報道の自由については、憲法上規定はないが、「国民の知る権利に奉仕する」ものとして最高裁も認めている。また、弁護人の弁護権も、憲法上の被疑者・被告人の弁護人依頼権・防御権のために保障されていると解される。
健康保険法もその第1条において「国民の生活の安定と福祉の向上に寄与」することを目的として掲げており、医師(保険医)の「診療権」確立は、国民(患者)の「健康的生存権」「受療権」を保障するためのものでなければならない。
憲法25条に基づく立法措置について、最高裁は「裁判所が審査判断するのに適しない事柄」としながら、憲法25条第1項の「規定が、いわゆる福祉国家の理念に基づきすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものである」(最高裁S57.7.7堀木訴訟判決)と判示しており、国民の「健康的生存権」のための保険医の「診療権」という理念に基づく健保法改正議論が必要と考える。
Part2/(3)シンポジストの報告・(4)フロア発言から・(5)質問及び回答から はこちら
溝部訴訟(山梨県)
(C) 2008- 指導・監査・処分取消訴訟支援ネット