2004年(平成16年)4月、山梨社会保険診療報酬請求書審査委員会小児科委員が「インフルエンザ感染症の確定病名が多い」との理由で、山梨社会保険事務局に原告に対する個別指導を実施するよう要請。甲府市医師会副会長からも「疑義を感じる」等の情報提供が行われた。これを受け、同年9月28日に初めての個別指導が実施されたが、指導は中断され130名を超える患者調査が行われた。
2005年(平成17年)1月、第2回目の個別指導が行われ中断、同年2月には第3回目の個別指導が行われたが指導は中止された。3回の個別指導は、「点滴の件数が多い」「検査が多い」「輸液の量が多い」などの「診療内容に対する非難・追及」と「捜査=2年間のカルテ・資料のコピー」に終始した。
しかし個別指導で問題にされた診療が、患者調査の結果正当に行われていることが判明し、その後の追及は「無診察処方」に変わっていった。(多くの患者の親は、社会保険事務局から非難されるそのような診療こそが心底ありがたかった診療であって、診療所を閉鎖して欲しくない理由だと「社会保険庁あての手紙」に書いていた。)
「個別指導」は、「指導」ではなく「証拠集め」と「心理的圧迫の下での取り調べ・捜査」であった。ひとかけらの「指導」も「是正勧告」もないまま、3月には監査が行われることとなった。
個別指導・監査を通じて、保険指導医や事務指導官は、「患者のことを話すな!」「患者のことは聞いていない」「患者の言うことを聞くな!」「先生の言うことは違いますね」「ウソを言ってますね」と弁明を許さない姿勢に終始した。山梨県医師会理事の立会人も「駄々をこねてもダメですよ。無診察処方は訴訟を起こしても医療者側が負けています」と、ダメ押しの末に精神的に追い詰め、監査調書への署名捺印を迫られた。
第1回目の個別指導直後、甲府市医師会幹部は相談した原告に対して地元の医学部小児科教授を介して「取消処分は決まっている」と述べ、監査の直前には社会保険医療協議会の委員である山梨県医師会理事が、「保険医登録と保険医療機関の指定両方の取消が決まっている。早ければ来月の地方医療協議会で決定する」と述べている事実が示すように、この個別指導・監査は最初から取消処分を前提に進められた疑いがある。
原告は、取消処分は決まってしまったものだと思い込まされて署名捺印させられた。
同年4月、診療所の存続を求める患者の親たちが患者会(500~600人)を結成し、取消処分撤回を求める署名活動を行い、28,000名余りの署名が寄せられた。
さらに、山梨社会保険医療協議会の公益委員に任命されていた弁護士が一連の事実を知り、職を辞して原告の代理人となった。
2005年(平成17年)6月から11月にかけて4回の聴聞会が開かれた。聴聞会では、原告から数々の質問や反論を申し立てたが、回答が得られないまま11月9日に行われた4回目の聴聞会の翌日、山梨社会保険医療協議会が招集され「保険医登録取消」「保険医療機関指定取消」が決定された。原告は11月28日、「社会正義のために闘ってください」という患者や、「山梨を変えないといけない」という弁護士の声に支えられ、山梨社会保険事務局を提訴するに至った。(保険医療機関指定取消処分等取消請求事件、執行停止申立、国家賠償請求訴訟)
2006年(平成18年)2月2日、「取消処分執行停止申立」について甲府地方裁判所は、
(1)社会保険事務局が不正・不当とする事案について、患者を個別・具体的に明らかにしていない、
(2)処分に至るまでの手続についても、違法性を論じる余地がないとまでは認められない、
(3)行政手続における平等取扱の原則や比例原則などに照らし、処分が適法であることについて疑問の余地がないとは即断できないこと
などを指摘、取消処分の執行を停止する決定を下した。
地裁判決の背景には、
(1)社会保険事務局の行った患者調査が、悪質な誘導尋問によるものだとして調書の返還を求める患者が多数にのぼったこと、
(2)取消処分撤回を求める署名が多数寄せられたことや、社会保険庁へ抗議の手紙が300通を超えるなど、患者会の大きな支援活動があったこと、
(3)聴聞会において、社会保険事務局の調査に事実誤認があることを患者自身が証言したこと
などが大きな力となっている。
2006年(平成18年)2月14日、国側が控訴を断念したことから執行停止が確定、取消処分の取消を求める本裁判は継続審議中である。
溝部訴訟(山梨県)
(C) 2008- 指導・監査・処分取消訴訟支援ネット